どうせゴールなんて、そんなに変わらない

nununununu2005-03-21

今日は円盤大学。ゲストはミュージック・マガジン高橋修さん。おもしろかった! 音楽を聴く人は増えているのか減っているのか。それは街のレコード屋さんがなくなりつつある現状と関係がありそうだ。音楽をツールとして楽しんでいる人は増えていそうだけど、音楽そのものを純粋に楽しんでいる人は減ってそう。

森達也いのちの食べかた』を読んだ。やはり必要なのは知ることだ。伊丹万作「戦争責任者の問題」の引用が彼の言いたいことをうまく代弁しているように思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。(中略)つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

明日(というか今日)は円盤で大谷能生さんとデュオやります。

川染喜弘presents」19:00-/1000円(1ドリンク付)
LIVE: (音がバンド名)/nentegain(ex BUSRATCH)/大谷能生+戸塚康雄/鬼ケ島(小川てつオ+いちむらみさこ)/川染喜弘

http://www.enban.org/