フランス革命

nununununu2006-06-11

今日は渋谷に行きました。まず1号の納品にタワーレコード渋谷へ。8Fで磯部涼くんとシローザグッドマンのレーベル、HONCHO SOUNDのMIX-CD付きミニコミ(?)『班長文学』を購入。100枚限定のようです。http://www.honchosound.com/
夕方からアップリンクで『大谷能生フランス革命』。撮影を担当している門松さんに2号用にお借りした資料をお返しする。とても親切なかたです。今回のゲストは、『フリーターにとって「自由」とは何か 』の著者、杉田俊介さん。具体的な事柄でないと想像しにくいという大谷さんに対して、歴史についてはあまり関心がもてず、どうしても抽象的な思考になってしまうという杉田さん。そして、子どもが生まれた時点から毎月一定の額を国が支給するという制度の案を知ったときにどう思ったかという話で、大谷さんは「ありじゃん、それやろうよ」というポジティヴな反応だったのに対して、杉田さんはその時「そんなことが許されるわけがない」と思った、というようなことをおっしゃっていた。そういったおふたりの違いがおもしろかった。
フリーターや引きこもりについてのことを、大谷さんはジャズなどに置き換えたりするので、分かりやすく感じたり、遠のいて感じたりする。それでのみ見えてくるものがあるだろうから、博学なうえにフットワークのかるい大谷能生という人はやはり貴重な人材だなあとあらためて思った。会場からの質問に対して答える杉田さんの言葉に、現場で抱えている問題やら葛藤やらが少し垣間みれた気がして、それが今日の一番の収穫だった。
今日の読売新聞に、町田康による保坂和志『途方に暮れて、人生論』の書評があって、そこには、
「一見、充実した生活を送っているようにみえる人が、実は虚しい時間を生きていて、生きにくいと感じている人の方が充実して幸せな人生を送っているということを明らかにする。」とあり、そのことをトークを聞いていて思った。
ニート」という言葉を最近聞かない気がしますが、それは、何かに対して、その言葉による効力が思いのほか得られなかったのか、それともすでに役目を終えたのか、じっさいはどういった理由か分かりませんが、それが自然に発生して自然に消えていったものではないのはたしかだと思う。
そういった言葉の力で動かされる何かがあるように、「フリーター」や「引きこもり」という言葉のもつイメージに引っ張られて、自分を不必要にカテゴライズしてしまったりすることもあるのだろうなと、お話を聞いていて思った(「アトピー」という病名はどうしてもかるい印象を与えてしまう、という話もあった)。それに対して『途方に暮れて、人生論』が有効だという話ではもちろんないけれど(きっと有効だと思うけれど)、そこで必要とされるのはやはりなんらかの言葉でしょう。そういった、言葉による教育が必要、という話は、次号の大谷さんの対談でも出てくるので、ぜひぜひ読んでいただきたいです(おや? 宣伝になってしまった…)。
新聞といえば、今日(6/11)の朝日新聞の社説に杉田さんの発言が載っています。http://www.asahi.com/paper/editorial.html

フランス革命』は次回でひとまず終了だそうです。何やら面白くなりそうです。