ASUNA→岡村靖幸

9/30 広尾のUNIVERSAL MARGINAL Heights でASUNAの個展『separate greetings, half camera, each organ, September』を鑑賞。ハーフカメラで撮影された無数のモノクロ写真が壁三面に展示されており、中央ではオルガン二台のインスタレーションが鳴り響いている。オルガンの鍵盤は全て押さえられており、その音の塊は途切れることがない。二台の音が重なりあい、絶え間なく移ろいゆく。それは自然の営み(そして男女の営み?)のようでもある(写真の台紙は緑色、オルガンは木製)。周りを取り囲む(色褪せた)過去の記憶たちは、木と緑が呼応することで、再び命を吹き込まれるようでもあるし、地球を包み込む宇宙のようでもある。zu-hauseさんのブログに最終日のライブレポートが掲載されています。http://d.hatena.ne.jp/zu-hause/
夕方から渋谷のタワーレコード岡村靖幸のインストアライブ。マキシシングルにライブ音源が収録された「N☆BABY」で始まる。「学校であったこと教えてくれよ〜。ちょっとムカつくことなどあれば聞かせてくれよ〜。こんど電話してくれよ〜。学校の放課後の楽しかったころの感じをもういちど楽しみたいぜ〜。最近は毎日ちゃんと仕事してるぜ〜。」というようなことを歌っていた。本当の気持ちなのだと思う。92年の『月刊カドカワ』では、出会いを求めて大学受験を考えている、と語っていた。最近の『MUSICA』のインタビューでも、今度英会話教室に通おうかと思っていると語っていた(岡村は子どもの頃ロンドンに住んでいたことがあり、日本語が身に付いていない状態で英語を覚えてしまい、あとで日本語を身につけるのに苦労したという。この躓きが「岡村靖幸」を形成したと考える)。いくつになろうとも、あの青春の頃の感じを取り戻すことは可能だろう。勿論、それはそれでいいのだけれど、しかし、中高生に向けた音楽を作ってもらいたいとも思った。客席に中高生らしき若者は見当たらなかった。最後は大盛り上がりで幕を閉じた。帰り道、ライブに誘ってくれたMさんが「異様にギターがうまくなっていた」とつぶやいた。ギターは自然とうまくなってしまったのかもしれない。そういえば、小沢健二に「ギターを弾く女」という曲があって、以前、自身のウェブサイトで「ギターの形は女性を連想させる、ではギターを弾く女とは?」というようなコメントしていた(このふたりは曲は出来るけど詩が出来ないという点で通じていますが、それ以外にも資質的に似たものを感じる)。なにがギターを弾かせるのか。気がつくとまたギターを弾いている。代表曲とカバーが歌われ、新曲は披露されなかった。はっきりもっと勇敢になって。
10/1 下北沢でモツを食べながら友だちの雑誌の打ち合わせ。音楽評論家の鈴木孝弥さんとレゲエ雑誌『Riddim』編集長の大場俊明さんの対談も決まったそうです。全体のコンセプトは「言葉」のようです。僕はデザインを担当します。http://ameblo.jp/our-madness/
10/2 千駄ヶ谷で打ち合わせ。あるミュージシャンの自伝の装幀を担当することに! ロスアプソンで「スマーフ男組とSPACE MCEE'Z」と「転職喫茶パリペキン」購入。『〜パリペキン』渋い。水戸黄門のカバー?で、岸野さんの「とんかつ一代」を思い出した。新宿武蔵野館で『サッド・ヴァケイション』鑑賞。全体的に不満があるので詳述しませんが、特に気になったのが音楽の扱い方。あまりに恣意的でありませんか? 必要でない音楽は必要でない。草が風の揺れるざわめきを聞かせるときに、音楽は必要でしょうか。あと、気のせいだと思いますが、最後のほうでカーテンをめくったときに一瞬顔のようなものが見えた気がしました。エンディングで「ゴースト」がかかるのはそのため?